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選文|02. 陶器のまちで、文化の発信拠点をつくる 『TURNS』Vol16 P.14-23

旅の途中に訪れた廃墟に強烈に惹きつけられた。
ここに人の集まる拠点をつくりたい。
夢はそこから始まった。

陶器のまちで、文化の発信拠点をつくる
長崎県東彼杵郡波佐見町
カフェ「モンネ・ルギ・ムック」

移住が目的だったわけじゃない
建物との出会いがすべてを変えた

 時として、人生を大きく変えるような出会いは突然訪れる。岡田浩典さんの場合もそうだった。
 遡ること十年前。長崎県波佐見町の、もと製陶所だった廃墟同然の建物を見て、岡田さんはひと目で心を奪われた。
 それから数ヶ月のうちに仲間と共に東京から移住して建物を改築し、カフェレストラン「モンネ・ルギ・ムック」(通称ムック)をオープン。十年かけて育ててきた。
 訪れた日、店の前に出ていた岡田さんは、歩いてくる女性を見かけるとぱっと声をかけた。
「しのぶさん、どうぞどうぞ!いま開けるから入って入って」
 毎月必ず一度は訪れるというその常連さん(ムックにはそんなお客さんが多い)を、岡田さんは大切な友人を迎えるように招き入れる。あとに続いて店に入ると、思わず声がもれた。奥は思っていたよりずっと広く、ゆったりとしたあたたかな空間が広がっている。築90年の建物の威風、石畳のフロア、ガラス窓から差す柔らかな光。不思議な安心感があった。
 そろそろお昼どきでもあり、ぞくぞくとお客さんが入ってくる。
 長崎県東彼杵郡波佐見町。世界的に陶器で有名な有田に隣接し、その生産を担ってきた波佐見もまた焼き物のまちだ。ムックのある「西の原」地区は江戸時代から平成十三年まで続いた製陶所の跡地で、いまも細工場、絵付け場、釉薬精製所、登り窯とひと通りの建造物が残り、一連の生産がここで行われていたことがわかる。
 面白い物件があるから来てみないか、と声をかけられた岡田さんが初めてこの場所を訪れたとき、建物の中にはまだ素焼きの器が散乱しているような状態だった。
「なんてかっこいい建物なんだろうって。こんな物件なかなか出会えない。ここに全国から人が集まる面白い拠点をつくれたらいいなと思ったのが始まりです」
 東京の下高井戸に生まれ育った、生粋の都会っ子。20代で赤坂の某有名フレンチカフェで働くギャルソンになる。カフェブームの先駆けともなったこの店は、マニュアルサービス一辺倒の日本にあって希少な、サービスに定評のある店だった。ここで学んだ飲食店のあり方、接客やサービスの多くが、いまのムックの土台となっている。

飲食店であって飲食店でない。
人が人を呼ぶ、文化の発信地

 フレンチカフェを辞めた岡田さんは、海外に出る前に日本を見てまわろうと旅に出た。その道中で陶芸家の長瀬渉さんに出会う。後日彼から紹介されたのが、現・ムックの建物だった。九州の港に降り立った瞬間に鳴った電話が、岡田さんのその後を変えた。
 いま店には、さまざまな人が訪れる。近所でペットショップを営む男性、開店以来通っている若い女性三人組、おじいちゃんと孫の家族づれ。彼らにとってこの店が、思い思いの時間を過ごす、大切な場所であることがすぐにわかる。
 ムックをともに育ててきた岡田さんのパートナー鬼塚宏美さんも、かつては彼と同じ店のパティシエとして働いていた。そのせいか二人はめざすお店の像が近い。田舎でもきちんとしたサービスを提供して、ぴりっと刺激のある店にしたい。飲食店であって飲食店でない。人が集まってまた人を呼び、厚みを増していくような拠点。二人が志したのはそんな店だ。
 だがそれは地方でイメージされる、「ちょっとお洒落な喫茶店」とはギャップもあった。パスタやオムライスなどの人気メニューをやめたのも、ここを単なる「ご飯屋さん」にしないという自負があったから。音楽を聞き、会話とともに食事を楽しむ。そうした文化にこそカフェの魅力がある。ムックの思いは、時間をかけて少しづつ、お客さんにも浸透していった。
 いまや地元の若者にとってもムックの存在は大きい。Uターンで生家の陶器屋に戻ったマルヒロの馬場匡平さんは、飲食業のプロとして岡田さんを頼りにしている。
「器をつくっている僕らが一つの目安にするのは、プロに使ってもらえるかどうかです。試作品ができると必ず岡ちゃんのところへ持って行って、アドバイスをもらう」
 取っ手はこの方が持ちやすい、重ねて使うならこう。今や全国的に有名なマルヒロのカラフルな食器がいくつもムックに積まれているのは、そんな理由からだ。
「匡平たちが帰ってきて、新しい波佐見のイメージを打ち出しはじめた。そこに町のおじちゃんたちの動きも重なったんです」。
 町が大きく変化しようとするその時期に、初めて会う人同士がすっと仲間になれるムックのような店があったことは奇跡に近い。

これから先の十年が、
西の原の質を決める

 お客さんの多い日、ムックの前には開店前から行列ができる。年に約3万人という集客数は、周囲がのどかな田園地帯であることを考えれば、驚くべき数字だろう。
「岡ちゃん、久しぶり〜」
「おー久しぶりやったねぇ」
 訪れるお客さんの中には岡田さんの知人友人も多い。一見強面な岡田さんだが、人なつっこくて面倒見がよい。口をひらけばすぐに相手を笑わせる、気遣いの人でもある。
 開店当初、ムックのほかに雑貨店、ギャラリーと三軒でスタートした西の原の敷地内には、いまや自家焙煎の珈琲豆専門店や焼き物のショップなど個性的な店が並び、新しいデザインの食器やオーガニック食品などを販売している。
 お店を始めてからの数年間は、協力してくれる地元の人たちとの価値観の違いを乗り越える期間でもあった。素敵だと思っていた古い建具をよかれと思って撤去されてしまったり、雰囲気ある石畳のフロアを新しくした方がいいとアドバイスされたことも。店のまわりにほどよく伸びた緑を、「きれいに刈るのがおもてなし。草が生えとるのは手ぇ抜いとる」、というのが地元の常識だった。
 その違いを一つずつ、ある時は主張を貫き、ある時は謝り、けんかもしながら店を育ててきた。だからこそ、この店は周囲の人たちとともに育てたという意識が強い。
 一方で、周囲の店との信頼関係も厚い。西の原敷地内の珈琲豆専門店「Shady」の代表・磯崎健人さんは、岡田さんに信頼を寄せるひとり。店を改築した際も真っ先に相談したのが岡田さんだった。人の流れ、客の目線、扉をオープンにして店を広く使うコツ……。アドバイスは的確だった。
「岡田さんが近くにいて、ほんとに心強いです」
 同じく敷地内に工房を構える阿部薫太朗さんも岡田さんと同じ時期にこの町を訪れ、いまや波佐見焼きの未来を牽引するひとり。CLASKAの波佐見焼きシリーズや、HASAMI PORCELAIN、COMMONなどの新しいラインのデザインやモデリングを手がける。
 彼らは岡田さんにとって、これからの波佐見のことを真剣に話し合える仲間だ。
「これから先の十年をどうしていくのか。それが西の原の真価を決めると思うんです」。

 波佐見へ来たばかりの頃、岡田さんは地元の人たちの人なつっこさに驚いた。顔見知りになると旧知の知り合いのように声をかけてくれる。「何しよっとね」「ちょっと寄っていかんね」。
 損得は関係なしに、みなが助け合う「結」の文化が残る町。
 いま、若手の仲間と話しているのは、そんな波佐見町を10〜20代が胸を張って帰ってこられる町にしたいということ。外から人を呼ぶためでなく、地元の人を育てるために町のお金を使うほうがいい。
「いま西の原には、多くの人が来てくれます。そのわくわくの理由を考えずに数だけ伸ばそうとすれば、大切なものを失いかねない」
 最近は、観光バスも訪れる。大勢の人がどっと押し寄せ慌ただしく去ってゆく様子は、ここを好きな人たちの目に、どう映るのか。
「お客さんが増えれば売上は伸びます。でもこれまでに築いてきたここの魅力やお客さんとの関係を、大切に育てていくことの方が大事」。 
 これから先、何十年ここにいても、自分は「ずっとよそ者だ」という覚悟がある。だが、よそ者だから実現できることもある。そのことを、ムックは訪れる人たちに、気付かせてくれる。

雑誌『TURNS』Vol.16
P.14-23

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