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2024-02-02

藍の天然染料の元となるスクモづくり

徳島の工房「Watanabe’s」に、藍の天然染料の元となる「スクモ」づくりを見せていただきました。10月から始まり、そろそろ佳境。

発酵中の藍の葉を攪拌するとぶわっと蒸気が上がり、菌が活発に動いているのが感じられます。人がいかに「菌が働きやすい環境をつくるか」の仕事。

印象深かったのは、渡邉さんが「言葉にして説明すると、伝えたいことの出力が落ちる」と仰ったこと。発酵している中には未知数の菌がいるが、科学的には片手で数えられるほどの菌の働きしか解明されておらず、わかっていないことの方が圧倒的に多い。なので、日々現場で接している人は菌の状況を見て、五感で感じて、判断して必要な対応をするけれど、それを明確に説明はできないと。自然界にあること、起きていることに比べて、人間にわかっていることはずっと少なくて、「人間を通すと出力、解像度が落ちるのだ」という話でした。

化学染料による藍染と、天然染料による藍染の違い(色の美しさの違い)を、言葉で説明しにくいのも、このためだろうなと。「なん…か、何かが違うのよ!」とある女性は言いました。これも言葉にならないけど感じるということ。同じようなことがこの世の中にはたくさんあるんだろう。

といった話を先日、ある編集者にしていた時、教えてもらったのが、横尾忠則さんの唯物論と非物質的世界を書いた『死後を生きる生き方』。横尾さんのこんな記事も見つけました。

———例えばレンブラントの肖像そっくりの絵をAIが描いたとします。すると、比較してもどっちが本物かどうかもわからないほどの物ができるらしいのです。それはこの物質的世界に於いてそっくりのもので、その真偽の区別はつきません。しかしAIが描いたレンブラントはあくまでも物質的表層部分で、その絵を描いた時点でのレンブラントの感情や魂までは描けていないはずです。言うなれば唯物的そっくり絵画です。われわれは絵を見る時、目で見ているのではなく、その絵の持つ波動を感じ取っているのです。だけど、それを認めている者はほとんどいません。多くの人は、やっぱり絵は視覚の力だと信じています。だからAIの描いたレンブラントも元のレンブラントとの差異はないと思っているのです。———「波動を感じ取る」のと「視覚だけで見る」の違い


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