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2020-04-13

コロナありきを日常に…とは、なかなか受け入れにくい

世の中がガラリと変わって、書かなきゃいけない原稿は溜まっているものの、前と同じ前提では書けず時間ばかり過ぎ。
短期的に非常事態を乗り越えるのとは違うスパンの話かもしれませんが、自分の仕事では、コロナありきを日常とする前提に立つしかないってことが、今の時点で得た答えです。

「withコロナ」と言われ始めていますが、この状況が長引くなか、みなできることとできないことを探って、できることを活発化させていくのだろうと想像します。そのためにしくみが変化し始める時、編集者ライターはそれを追うしかない。
この状態が長引くってことを受け入れられず、そうシンプルに思うことができるまでに時間がかかりました。

一方で、コロナがいる上での、こうあるといい世の中ってどんなか。
『シン・ニホン』の安宅さんが「開疎化」って言葉を使われてますが、暮らす場所を選ぶ価値観も変化していくかもしれない。

単純に田舎の方が価値があがるとは思わないけど、今までさんざんやっても変わらなかった何を変えれば「東京>地方」の人口移動が変わっていくのか

幸い、水や電気ガスなどのインフラ、寝て食べてという生活の根幹は守られているし、当面最大のしなきゃいけないことが「家を出ないこと」だという、何とも力のやり場にこまる状況ですが、視点を変えると色々見えてきます。

先週ミシマガジンの連載で書いた記事は、在来野菜を扱う八百屋さんの話で、伝えたいことはコロナ関係なく、生物の多様性など普遍的なテーマ。
でも売り先の百貨店が閉じた瞬間に大きな売り先を失って、代わりに生活圏内の人に売ることを準備中なのだとか。その機動力はさすがだと思います。同時に、次の世界で大事にしないとならないヒントがそこにある気がします。

この先何ごともコロナと無関係ではいられないと思うので、今いる場所に立って書くしかないなと思っています


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